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客室的回話 


~風景と海抜。文学と鉄道に関しての。~ (共同制作)



758 :無賃乗客:2093/12/03(月) 01:15:50
756へ。 いや、鉄道好きなオレでもサンテグジュペリの「夜間飛行」には激しく感動したよ。だから、文学を成立させるのに必要な風景の海抜は、平地のそれに限定されない。文学とは直接関係ない話であるけれど、今の電車は窓枠や取っ手や扇風機の羽根みたいな具体性をどんどん欠いてきている事が車内の文学性を減少させる要因になっているような気がして、 それを不満に思う。「のっぺり」している方が良い、みたいな。

759 :無賃乗客:2093/12/08(土) 09:55:01
758さん なるほど新しい観点ですね。車両の近代化における「のっぺり志向」 が文学性を奪い去っているということですね。確かに施設設備はとがりとかいうもの欠いてますね。 風景の海抜は生活とあまりかけ離れるとファンタジーになりますね。 しかし、近代文学を考えるキーにはなりますね。 風景海抜をどのように描くか、のっぺり性をどう描くか、また、乗り越えられるかということなど面白い課題がありますね。

760 :758 :2093/12/09(日) 04:19:55
759へ。丁寧なレスをありがとう。そう、ザラついていれば発生したかもしれない 何らかとの「引っかかり」が、「のっぺり」することによって出現しづらくなっている状況にあるのではないかな。すでに580で「音と匂いの消去が近代」とあるけれど、そこへの問題意識を、はたして「安易なノスタルジー」と簡単に片付けてしまってよいのかどうか。どちらも相対的な問題にも拘わらず、なぜヒトは、「よき音」よりも「音なき」 の方を選ぶのか。おいしい「のっぺり」であればよいかもしれませんね。

761 :無賃乗客:2093/12/09(日) 10:38:35
758 なかなか面白い問題提起をされますね。 文学というのは基本的にはとっかかりですね。かつてだったら窓を開ける のに苦労しました。それを手伝うということからの出会いもありました。 が、冷暖房が行き届いて窓の開閉は不要になりました。不便なものを近代は 消去していきますね。 匂いとか音も重要な要素ですね、人間という動物が生活する上での メリハリだったように思うのです。 とっかかり、ひっかかりを欠いていく現代は文学的素材を喪失しているともいえないでしょうか。


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